平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震と気象庁により命名された地震は,奥羽脊梁山脈を含んで主に東側にある建築物を破壊し,北海道太平洋沿岸から九州沿岸,そして太平洋に面する国々で大小の津波被害をもたらしました。それが引き金となり,福島県の太平洋岸に立地する原子力発電所の冷却系機能不全に伴う放射性物質漏れ事故が発生し,今日に至ります。
枚挙にいとまがない被害の数々を,東日本大震災と呼ぶことに政府が決めたのは4月1日。それまでは,東北関東大震災と東日本大震災の二つの名称が併存する状況が続きました。このことについて,小生の考えを先日Twitterで記しました:
東北関東大震災という呼称は,北海道や中部,東海地方の被災状況が勘案されないという地理的排斥状態を生んでいた。この観点から見れば,「東日本」の方が,より地震の被害実態に即した呼称となったと考える。もっとも,NHKが用いた呼称は,災害救助法適用区域に極力沿った呼称とも言えそうだ。
震災の名称一つで地理学の話しに関連づけようとする自分はどうかしているかもしれませんが,人々の空間認知,あるいはある空間の中で起きている現象をどう表象するかは,決して無視できない重要な問題をはらんでいると考えるため,一考察を記そうとしているわけです。
かつて,兵庫県南部地震によって引き起こされた災害を阪神・淡路大震災と称することに決めたことがあります。報道では「淡路」の文字が欠落していましたが,淡路島の被害状況を勘案し,政府が名称を決定したとされます。
今回の原発事故は海外メディアをも巻き込んで,世界中が固唾を飲んで経過を見守っているところですが,地理感覚に乏しい海外メディアが,東京をあたかも原発に汚染された街として紹介し,日本国内ではいわき市や相馬周辺に物資が届かない事象が発生しています。
メディアのインタビューに回答する方々は,口々に公表される放射性物質に関する数字の意味がわからないと語ります。地理感覚の欠如が引き起こす風評被害は,経済を低迷させるだけにとどまらず,生命を危機にさらすものだとつくづく感じます。
小生はじめ地理学を学ぶもの,志すものは,こういった地理感覚の欠如による生命の危機を回避するべく,日夜教育啓蒙活動にいそしまねばならぬ,と感じた次第です。
蛇足ですが,今回の震災情報はすべからく地理情報とソーシャルメディアを駆使して報じられ,共有されているように感じます。地理感覚を補う,あるいは支援するツールとして,電子化された地図や位置情報に関連づけられた情報は強力だと改めて認識しました。このことについては,自分ももう少しスキルアップする必要を認識しました。
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