2013年3月24日日曜日

言葉で表現する影響力

今年は謹賀新年も言わないうちに3ヶ月が過ぎようとしております.相も変わらず放置ですが,それだけ日々がめまぐるしく移ろっていることの証拠でしょう.前後を見ても今日くらいしか気持ちが休まる日がないと思うので,久しぶりに投稿してみます.

といは意気込んだものの,とてもシンプルな言葉を書き残して立ち去ろうという魂胆.日頃強く思っていることを,順序よく言葉に表すことで,「私」は気付かされ,突き動かされるもの,と信じて疑わないからです.

情報過多社会で生きていく上で,情報をどう取捨選択していくか,本当に問われる毎日を暮らしています.もっとも,研究という世界は,本来的に情報過多で,そこから新たな発見を見いだすことが要求されています.生きる上でも,研究する上でも,こうした環境の基で意志決定が迫られているわけです.

「哲学を磨け,哲学を貫け,でも自己批判しろ」

こういった気概を持ち続けることが,自分という人間を形作っていくんだろうな,と強く感じる毎日です.

では,また気が向いたら投稿します.ごきげんよう.

2012年1月5日木曜日

謹賀新年2012年

あけましておめでとうございます.
少し遅れましたが,本年も引き続きご指導ご鞭撻のほどお願いします.

あと3週間ほどで博士論文提出という大きなイベントを控え,てんてこ舞いの毎日です.何歳になっても,提出期限ぎりぎりにならないと筆が進まないという悪い癖が抜けません.

今年は辰年です.自分もいろんな意味で「タツ」ようにがんばって参りたいと思います.このブログの更新頻度がもう少し上がればいいなと思います・・・

では.

2011年4月3日日曜日

戦後最大の地震に思う

2011年3月11日14:46(GMT+9),三陸沖を震源とするM9.0の地震が発生し,近年では最大級の被害,そして尊い命が奪われ,平穏な日常が世界中から消えました。今次の震災に対し,心からお悔やみとお見舞いを申し上げる次第です。

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震と気象庁により命名された地震は,奥羽脊梁山脈を含んで主に東側にある建築物を破壊し,北海道太平洋沿岸から九州沿岸,そして太平洋に面する国々で大小の津波被害をもたらしました。それが引き金となり,福島県の太平洋岸に立地する原子力発電所の冷却系機能不全に伴う放射性物質漏れ事故が発生し,今日に至ります。

枚挙にいとまがない被害の数々を,東日本大震災と呼ぶことに政府が決めたのは4月1日。それまでは,東北関東大震災と東日本大震災の二つの名称が併存する状況が続きました。このことについて,小生の考えを先日Twitterで記しました:

東北関東大震災という呼称は,北海道や中部,東海地方の被災状況が勘案されないという地理的排斥状態を生んでいた。この観点から見れば,「東日本」の方が,より地震の被害実態に即した呼称となったと考える。もっとも,NHKが用いた呼称は,災害救助法適用区域に極力沿った呼称とも言えそうだ。

震災の名称一つで地理学の話しに関連づけようとする自分はどうかしているかもしれませんが,人々の空間認知,あるいはある空間の中で起きている現象をどう表象するかは,決して無視できない重要な問題をはらんでいると考えるため,一考察を記そうとしているわけです。

かつて,兵庫県南部地震によって引き起こされた災害を阪神・淡路大震災と称することに決めたことがあります。報道では「淡路」の文字が欠落していましたが,淡路島の被害状況を勘案し,政府が名称を決定したとされます。

今回の原発事故は海外メディアをも巻き込んで,世界中が固唾を飲んで経過を見守っているところですが,地理感覚に乏しい海外メディアが,東京をあたかも原発に汚染された街として紹介し,日本国内ではいわき市や相馬周辺に物資が届かない事象が発生しています。

メディアのインタビューに回答する方々は,口々に公表される放射性物質に関する数字の意味がわからないと語ります。地理感覚の欠如が引き起こす風評被害は,経済を低迷させるだけにとどまらず,生命を危機にさらすものだとつくづく感じます。

小生はじめ地理学を学ぶもの,志すものは,こういった地理感覚の欠如による生命の危機を回避するべく,日夜教育啓蒙活動にいそしまねばならぬ,と感じた次第です。


蛇足ですが,今回の震災情報はすべからく地理情報とソーシャルメディアを駆使して報じられ,共有されているように感じます。地理感覚を補う,あるいは支援するツールとして,電子化された地図や位置情報に関連づけられた情報は強力だと改めて認識しました。このことについては,自分ももう少しスキルアップする必要を認識しました。

2011年1月4日火曜日

謹賀新年2011年

皆様 あけましておめでとうございます.

旧年中は大変お世話になりました.特に,第5回日韓中地理学会議開催に当たりましては,並々ならぬご支援を頂戴し,成功裏に終えることが出来ました.

あいにく,最後の〆となる自分の博士号取得は持ち越しと相成りましたが,それでも収穫の多い一年となったことに間違いありません.

2011年は,公私ともにバランスのとれた生活を送り,メンタル・フィジカルヘルスに十分留意しながら博士号取得を成し遂げ,就職に結びつけていきます.

それでは,本年もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします.

2011.1.4記す

2010年12月13日月曜日

興味関心のメモ

自分の専門を答えることに窮する自分がいる.それを漸く客観視できるようになってきたか?

自分は林業でも農業でも農村でもなく,観念の上流にある興味の対象は社会構造,機能主義(構造機能主義)が遠いようで近い気がした.要は,社会の一側面をとらえようとしたときに,地理学は必要不可欠な視点であるが,系統地理学にとらわれていては見えない社会構造を見逃してしまいそうな不安があったのだと思う.

だから,進んでいる地理の分野ではフード・システム論を唱えて久しいのだろうな.

これ,あくまでも備忘録でメモ書き.

2010年10月25日月曜日

目下の課題

森林セクター(林業や関連産業)を地理学で扱う意義を,先行研究や諸外国の研究を交えながら論じること.

呻吟語

まだまだ人生の折り返し地点にも到達していない小生ですが,いくつか言葉を記してみましょう:


「忙しいと言わない」
  •  仕事は忙しい人に集まります.忙しい=信頼が置ける,仕事をこなせるという証です.
  • 「仕事は忙しい人に頼め」とも言われてます(理化学研究所教授談).
  • 自分より忙しい人はたくさんいるはずです.忙しいと言ってしまう本当の理由を見つけましょう.言われたときは,言葉の裏を見抜きましょう.本当に無理なときは,忙しいのではなく,物理的に「無理」なのです.

「与えられた環境の下で自分のやりたいこと,やるべきことを見いだすこと」
  • 自分が理想とする環境はなかなかやってきません.それを手に入れるために払う代償はあまりにも大きいのです.
  • 自分が置かれた環境を的確に把握し,なすべきこと,自分の力が発揮できるところ,自分の可能性を最大限発揮できるところを見つけられる能力が,いざ自分が理想とする環境を与えられたとき本領発揮できるのです.

「楽しいこと,やりたいことを実現するためには,同じかそれ以上の苦しみや困難が待ち構えている」
  • 人生,好きなことだけやって過ごすことなどできるはずもありません.趣味でも仕事でも,必ず楽しむまでの条件がついてくるはずです.
  • M的な発言をすれば,その苦しみ・困難をも楽しめると,もはや悟りを開いている領域です.
  • 相対論的発言をすれば,楽しいと感じることの裏には,必ず苦しいことがあるってことです.究極的には,二元論的だということですね.
他にもあればまた書き連ねたいと思います.ちなみにすべて筆者オリジナルですので,あしからず.